Column

コラム

所感と雑感

無条件で明日を信じるということ

「またね。」夕暮れ時、遊び終えた小学生や部活終わりの中高生、講義を終えた学生らが、校門前でこの言葉をお互いに投げかけあい、帰路につく。学校法人の職員をしていると、こういう場面に出くわすことが多くあります。

ふと思えば、この言葉を交わす行為はとても尊いものです。明日が今日と同じように来ることを信じてやまず、きっと世界でいちばん平和な約束。世の中いろんなことが起きるけれど、この光景が見られるうちは、まだこの場所はだいじょうぶ、と思うことができます。

また、この校門という場所は、時にウェットな舞台装置となり得ます。
例えば、大学の卒業式。恩師へのあいさつや、友人との談笑、保護者との記念撮影を終え、卒業生は校門へ向かう。そして、校門から出る一歩前で、多くの卒業生は、振り返る。一目、ふたたびそのキャンパスを目におさめようとする。その振り返る一瞬、きっとその卒業生の心には、たくさんの思い出が駆け巡っている。でも、本人はそれに気づかず、なんとなく、ただなんとなく振り返った方が良い気がしただけ。そんなおぼろげで、不確かな気持ち。これが数年後、母校への愛情や学生時代の懐かしさへと形を変えていくのを、これまで私は幾度となく目にしてきました。

もし、卒業生に対して母校愛を醸成させるコピーを書くなら、私はこの場面に着目して「振り返ったら、愛だと思う。」とするでしょう。
改札で別れを惜しむ恋人たちは、お互いが見えなくなるまで何度も振り返る。
受験会場へ向かう娘を見送る母親は、姿が見えなくなった後に来た道を戻るが、振り返る。すでに姿が見えないことを知っているのに。
犬だって、散歩をしていると振り返る。リードついてるでしょ、とつっこむが、視界にいれると落ち着くらしいのです。
どの場面だって、振り返るという行為は愛情のあらわれなのかもしれませんね。

こんなことを思いながら、私は学校法人の職員として、コピーライターとして暮らしています。